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2015年12月17日 / ouch!

「評価する」を(コンピュータ屋さん的に)科学する

「折り紙作品を評価する」という表現は言葉としては自然だけど、実はとても曖昧だ。まず「評価する」という行為を定義しなくてはならない。ここでは「なんらかの基準で0以上1以下の実数に落とし込む(評価関数fに折り紙作品Xを入力すると一次元の実数が得られ、その値が1に近いほど良い)」という工学的な見方をしたい。
その際に問題となることは大きく分けて2つある。

  1. 折り紙作品Xの数値化(特徴選択)
  2. 評価関数fの決定

コンピュータ屋さん的には、折り紙作品を数値(端的に言えば多次元実数ベクトル)で表さないと計算できないので特徴選択は必然である。情報認識学だと「与えられたものの種類を見分ける」というゴールがあるので、その性能が良くなるように特徴を選んでいけば良い(個人を識別するなら体重や身長よりも顔画像や指紋を用いたほうが良さそうであるように)。

これが折り紙の話になると、何を特徴空間の軸とするのかは最早哲学の域に達する。「折り紙作品を評価する」という行為には今のところゴールが設定されていないし、作品から直接的に得られる数値なんて寸法とか紙の使用効率とかしかないからだ(ここでは科学として話を進めているので、人間の主観はなるべく排除したい)。

評価関数fも、考えるべきことはいろいろある。単純なのはノルムを使う方法だが、全く独立した特徴を使用した時にそれらをないまぜにしてしまっていいのだろうか?

もし「折り紙を折り紙たらしめる要素」と「芸術としての美」が特徴として用いられた場合(どうやってその数値を得るのかはさておき)、それらを一緒くたにして一次元の数値に落とし込むことは有意義なのだろうか。作品を発表すべきかどうかの指標くらいにしかならないのではないか。この2つの特徴(というか方向性)は独立なものとして分けて考えるべきだとした場合、分けたら分けたで今度は「その2つの数値を使ってあなたは何がしたいんですか?」という問いが生まれるはずだ。

こういったことは人々のロマンを駆り立てるのか定性的観点でよく語られているようだけど、すべての根源たる「折り紙」の定義が曖昧すぎるせいで話が発散しがちだ(あなたは、折り紙とペーパークラフトの違いを明確に説明した通説を見たことがあるだろうか?少なくとも私はない)。曖昧さのせいで仮定が偽になってしまっては議論にならない。とはいえ、芸術界隈の物事を厳密化するとつまらなくなるだけだろうとも想像できる。

そうなると最後に残るのは各々のポリシーだけで、それが他人に受け入れられない可能性があることを認める覚悟があるかどうかに帰着すると思う(あなたが創作者であるならば)。鑑賞する立場でも、受け取った情報に対して自分なりの解釈を行うのが「鑑賞」だから、とにかく自由にしてよいはずだ。

身も蓋もない結論:

  • 問題設定が正しくなかった。
  • 細けぇこたぁいいんだよ!自分にとって凄いか凄くないかだ!関数fは君の心の中にある!(ただし、他人の主張を頭ごなしに否定してはいけない)
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