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2016年6月26日 / ouch!

思想は深く、視野は広く、いつでもニュートラルに

「自身で創作したものこそが至高であり、折図などを見て折ったレプリカなんぞクソ以下」という言説があるらしい。これはいくつかの事象を混同しているし、甚だ視野が狭く感受性の低い残念な人間性を露呈している(某アメリカ大統領候補のように)。

1. 何を混同しているのか?

創作の作品が凄いのではなく、創作した本人が能力を駆使して自身の力だけでフルスクラッチでアウトプットしたことが凄いのである。つまり「創作できること」が凄い。

作品を展示した時、鑑賞者はその外観だけで評価する。たとえ創作作品の側に非創作のものが置いてあっても「折り紙」は皆等しく「折り紙」であり、鑑賞者は殆ど区別しない。見たものが凄いか凄くないかだけである。

作者はその覚悟をした上で展示しなければならない。自身の創作でないなら、創作者に敬意を表して創作者の名前を明示して展示しなければならない(創作できる人は凄いのだから)。

タイトルを教えられた上で鑑賞してもなんだか上手く表現されてないように感じられる創作作品を見せられた時、あなたはその作品(≠創作者)を「創作だから」という理由で賞賛するだろうか?「あなたの頑張りは素晴らしいが、ここをもうちょっと…」などと言いたくなるのではないか?(というか、私が見せた時は言って欲しい)

2. 人間性に関する一考察

冒頭ではわざと強い論調で言ってみたが、簡単に言えば「なんだか優しくないなぁ」ということである。ダイバーシティがないっていうのかな。英語には put yourself in the other’s shoes という言い回しがある。

タイムワープして、本を見ながら折って完成できた達成感に浸っている瞬間の昔の自分に向かって冒頭のセリフを言い放ったとしたら?

折ることを楽しんでいたのにそんなことを言われた過去のあなたは、果たしてまた紙を手に取るだろうか?父ちゃん母ちゃんにこんなことを言われたらしばらくは塞ぎ込みそうだぞ。

イエス=オリストは言った。「創作者である神谷氏以上にエンシェントドラゴンをカッコよく折れる者だけが、創作でないエンシェントドラゴンを貶しなさい」

私はエンシェントドラゴンを一回折っただけで、しかも綺麗に折れませんでした。チャンチャン♪

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